呪われた眼と自分自身との葛藤

この2ちゃんねるのコピペを見て、以前私が経験したことを思い出した。
ちなみに2ちゃんねるのコピペとは、最初誰かが書いたであろう事実ともお話ともつかない小話がコピーアンドペーストで拡散していたったものとなる。
コピペのまとめについてはこちらをどうぞ。
けっこう長いですけども。
http://alfalfalfa.com/archives/7287666.html

「交通事故」

会社の帰りの時間でした。夜8時頃だったと思います。
日本橋はサラリーマンが多い街ですから、夜の8時といえば帰宅するサラリーマンや
一杯やっていこうとするサラリーマンで賑わう時間です。
交差点で信号待ちをしていると、原付と車が衝突しました。事故です。
結構な勢いだったので原付に乗ってた方の人が勢いよく飛ばされて
私を含めたサラリーマンの塊が信号待ちをしている横断歩道の前に投げ出されました。
顔は血だらけで、頭からはおびただしい血がどろどろと流れ落ちていました。
私はびっくりして119番しなければと思いながら携帯を取り出そうとしつつ
何気なくあたりを見てみると、信号待ちをしているサラリーマンが
老いも若きもこぞってその血だらけの人を携帯カメラで撮影しだしたんです。
ぞろぞろと前に携帯をかざしながら、顔はニヤニヤと。
あるものは、同僚と話しながら。
「ヤベー、コレ。エグいなあ」とか
「すげーもんに出くわしたなあ」とか
結構立派そうな服装のサラリーマンや年配の方も。
誰も止めに入らない。撮影をやめない。
私は119番し、その場を足早に立ち去りました。
あそこに1分でもいたくなかったからです。
あの時。携帯カメラで撮影してた人たちのなんともいえない悪意ある笑みを
今も忘れることができません。
日本はやっぱり病んでるんですね。
いや、ひょっとしたら私が狂ってるんですかね。

なんとも胸くそ悪くなるような話だが、以前新小岩駅で人身事故に遭遇した際に同じことを経験した。
スーツを着たサラリーマンと思しき人が、電車の下へ携帯を向けて写真を撮っていた。
後ろ姿だったのでどんな顔をしていたかは知らないが、きっと回りこんでその顔を覗きこんでも良い印象は持たなかっただろう。

私はその行為に嫌悪した。
と、同時に、私もやってみたいという衝動が起こったことに吐き気すら覚えた。
私はこういう場に居合わせた場合、好奇心よりも自制心が優先するんだなと、そう単純に思った。
俺に報道写真は撮れないと思った。

その単純な思いにある種の回答を与えてくれたのは、フォトアサヒ(全日本写真連盟の会報誌)の5月号だった。
それは写真家、小林紀晴さんの著書に対する書評であった。
写真家、古屋誠一さんの人生を追うもので、自殺した妻の写真を発表し続ける氏への疑問が発端となっている

小林さん自身も9.11の同時多発テロを体験し、その時は写真を撮るためにワールド・トレード・センターから離れようとする人の群れに逆行したという。
その後3.11、東日本大震災が発生する。
小林さんは迷った上で、現地へ行くのをやめたという。
そんな中で出会ったのが、同時多発テロを踏まえて書かれた、スーザン・ソンタグ著「他者の苦痛へのまなざし」であり、プラトンの「呪われた眼」という言葉であったという。

ある一人の男が、処刑された死体が地面に横たわっていることを知る。
男は近くに行って、見てみたいと思う。
同時に嫌悪を感じ、引き返そうとする。
しばらく煩悶し眼を蔽っていたが、やがて欲望に勝てずに眼を見開き、死体に駆け寄ってこう叫ぶ。
「さあ、来たぞ。お前たち呪われた眼よ、この美しい光景を思い切り楽しめ」

戦争や事故などの残酷な光景を目の当たりにすると、嫌悪すると同時に強く惹かれる。
私も同じだから、当然呪われた眼を持っている。
でもそれに身を委ねてしまうことには強い抵抗を感じる。
なんのことはない。
私が嫌悪しているのは、事故や戦争そのものよりも、それに対して嫌悪しつつも惹かれている自分自身であるということだ。
だが、結局のところ、人はこういうものだと定義されると逆らってやりたくなるだけなのかもしれない。
日本はやっぱり病んでるんですね。
いや、ひょっとしたら私が狂ってるんですかね。

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