稲ムラの火から学ぶべき教訓

__ iPhoneにて撮影。 茂原の市民会館で稲ムラの火の劇が上映されるということで行ってきた。 日頃ツイッターで脱原発のツイートを流している私が見ないわけにはいくまい。 まあ、ぶっちゃけチケットをもらったから行ったのだけれど。 稲ムラの火自体はフィクションではあるものの、安政南海地震津波に際して紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)で起きた故事を元にしている。 庄屋の五兵衛は地震の揺れを感じた後、海水が沖へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。 夜間で高台への避難経路を示す為に五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲ムラ)に松明で火をつけた。 村人は稲ムラの火を頼りに高台へ避難し、津波から逃れることに成功した。 その後五兵衛は私財を投げ打ち堤防を作る。 これにより広川町の中心部では、昭和の東南海地震・南海地震による津波に際して被害を免れた。 (劇のあらすじを記載) 稲ムラの火には、地震や津波の対策が全て詰まっていると言っても過言ではない。 地震後tの津波の知識と高台への避難経路の確保。 堤防設営による中長期的な津波軽減策。 しかし、それらの対策をしていたのにもかかわらず、想定を上回る津波が押し寄せたのは皮肉としか言いようがない。 いや、石碑や文献、地層などに津波の痕跡があったのだがら、一番の原因は過去の人からの言葉に耳を貸さなかったことなのかもしれない。 物語で伝えていく一番の目的は、事故を風化させないことにあると思う。 だからこそ、何百年ならいざしらず、震災からたった2年でそんなものをなかったかのようにして原発の再稼働を進める姿勢には疑問を感じ得ない。 とても過去の事故から学んでいるようには思えないのだ。 私財を投じるどころか、原発を再稼働させることによって私服を肥やそうとする輩のことだ、近視眼的になるのも仕方ないのかもしれない。 ただ、確実なことは、このまま再稼働に入れば事故はまた起き、今度こそ日本は人の住めない土地になるであろうということだ。 地震と津波は確実にやってくるのだから。
ちなみに、私の考えは脱原発ではない。 脱原子力ムラである。 金儲けができると分かれば、本来ブレーキを踏まなければならないところでもアクセルを踏み込む。 後に待つのは大事故だと分かっていようとも、目先の欲に惑わされる。 およそ正常は判断とは言えない。 欲は目を曇らせる。 曇った目の先に見えてるものは一体なんだろうか。 そう、見えるのは目の前の札束である。 曇った目では、遠くなんて見通すことなんてできまい・・・。

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