マスターキートンReマスター読了。読前の杞憂は解消されたのか。

 

遅ればせながら、マスターキートン・リマスターを読んだ。
原作者の葛飾北星さん(きむらはじめ、ラテック鯨井等ペンネームは多数)は亡くなられているので、クレヨンしんちゃんやドラえもんのように、人が変わっても話やキャラクターは存続する形での続編となる。

結論からいえば、100%とまではいわないけども杞憂であった。
前作の終了から20年経っているという設定ではあるが、相変わらずのキートンはそこにいた。
キートンが探し求めている、ドナウ川流域のヨーロッパ文明の根源については若干飛ばし気味のような気がする、まあそれはご愛嬌ということで。

ところで、この飛ばし方、何かに似ているなと思ったのはイリヤッドである。

それは最後の著作者のその他の作品紹介を見て納得。
リマスターの原作者、長崎尚志さんはイリヤッドの原作者である東周斎雅楽さんと同一人物であった。
イリヤッドはちょっとマスターキートンに似てる部分もあったので、違和感が少ないのは納得だ。

今回リマスターとして続編を出したのは、正直なところ商業的な目論見によるものだとは思う。
まあ、その辺は脇に置いておいて、読んでみてもいいと思う。

ここで作中の一節を引用。
「戦争は頭のなかの羅針盤をくるわせる。何が善で何が悪はわからなくする」
もちろん絶対の善、絶対の悪なんてものは存在しない。
何が善で何が悪なのかは人によって違う。
勧善懲悪が現実世界にもあるのならば、どれだけ楽なことだろう。
私は戦争は知らないけども、奇しくも今の日本は集団的自衛権や特定秘密保護法などによって戦争に向かっているといわれる。
私の頭の中の羅針盤は、どこを指しているのだろうか。
少なくとも、戦争は望んじゃいないのだけども。

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