同級生が亡くなった。
あまり言いたいことではないが、自殺だった。
友達は精神的なものなのか、悩みがあったのか、自殺することができないようなことを言っていたが、それはなんと幸せなことだろうか。
正直私は今まで何度死にたいと思ったことだろうか。
私がこうやってブログを書いていられるのは、死にたくならなかったのではなく、ただ自殺する勇気が無かっただけである。
子供の自殺のサインを見逃さないようにと研修を行っているとのこと。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/046/gaiyou/1259186.htm
確かにそれはそれで大事なのだろうけども、あくまで対処療法であって根本解決にはなっていない。
自殺の対策ができるのはそこまでで、死にたくなる原因の解決には至っていない。
言い方は悪いが、それはまるで原因は棚上げしておいて宗教に救いを求めるかのようだ。
もちろんそれで根本解決にはなっていない。
たんに気が紛れるだけである。
またはそれっぽい病名を付けて薬漬けにしてしまうことだろうか。
それで良いやと、臭いものに蓋をしているのが現状である。
競争、いじめ、就職や事業の失敗、借金、病気。
今の世はいとも簡単にそれらに思い悩む状況に陥る。
そんな世ではいけないと思うのだけれど、偉い人達は逆のことを考えているようだ。
ただ明日の糧を得るためだけに働く社会。
人が進化して行き着いた結果は、結局強いものだけが生き残る、野生の動物社会と何ら変わらないものだったということか。
死にたくなることなんてザラにある。
それが普通だと思いませんか?
でも、それは異常な事態なのである。
死とか生とかを考える時いつも浮かんでくるのはアニメ、エンジェルビーツのこのシーンなんだよなあ。
死んじゃいかんのよ。
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