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おばあさんを殺した上に汁物にしておじいさんに食わせた。
そんなもの示談で済みますか?と。
一方現代版カチカチ山では狸の行った残酷な部分が割愛されているものが多いが、それだと兎どんの報復の仕方が酷くなりすぎて本末転倒であると。
悪因悪果、天網恢恢疎、これが地獄で最も大切なことです。
悪因悪果=悪い行為をすれば、それが原因となって、必ず悪い結果が生ずること。
天網恢恢=天網恢恢疎にして漏らさず。天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。
カチカチ山が生まれたのは室町時代とされており、今のように裁判制度が整備されていなかったり、そもそもお話なのでそこは考慮するにしても、ここまでの報復はさすがにNGである。
だからこその現代版改変ではあるのだけども、兎どんの報復が酷すぎたり、ましてや心を入れ替えた狸が心を入れ替えて示談成立なんてまずあり得ないだろう。
大多数の意見として(いわゆるネットの意見)、お前は報いを受けていない、であったからこその今回の辞任劇となったのだと思う。
しかし、報復も示談も、やって良いのは被害者本人か親しい人だけではないだろうか。
人間誰しも大なり小なり悪いことはやっているものである。
私もそうだ。
だからこそ、悪いことだとは思うけども、自分の行動を振り返ってみると大見得切って批難する気にもなれない。
あなたたちの中で
罪を犯したことのない者が
この女に、まず石を投げなさい
聖書の中に、姦通罪で捕らえられた女性をめぐって、主イエスと律法学者たちが対決する場面があります。旧約の律法では、姦通罪は石打ちの死刑にされることになっていました。判断を求められた主イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と言いました。すると年長者から始まって一人また一人と立ち去ってしまい、誰も女に石を投げることができませんでした。
上記は最もな話ではあるけども、被害者については何も書かれていない。
聖書にイチャモンを付けるのはアレだけども、私であれば罪を犯したことのない者と被害者とするだろうか(とりあえず罪状については考慮しないことにします)。
イジメは逃げ得であることが多いが、小山田氏はさすがに今回は報いを受けたのではないだろうか。
もちろんそれを判断できるのは被害者と親しい人だけだとは思うが。
これも天の網に引っかかったといえるのだろうか。
でも、本来は人の手で、逃げ得は許さない法整備が必要だろう。
イジメは恐らくなくならない。
だって大人がやっているのだから・・・。
でも、なくす努力はしなければならない。
それで嫌な思いをする人がいるのだから。
イジメをなくす努力と正当な裁きを。
地獄で責め苦を受けたって何もなりはしないのだから。
コーネリアスのHPにはこのような謝罪文が掲載されている。