能力のある人間が上に就けない日本の闇

 

森喜朗東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長が女性蔑視発言の責任を取って辞任し、後任選びが続いている。

 

個人的には、自分の発言の何が悪かったのか反省し、考え方を現代の常識に更新できるのであれば、辞任は必要なかったと思う。
森さんでなければトップは務まらないという人もおり、ロゴや国立競技場、コロナ等の様々な問題のあるオリンピックではあるが、それでもここまでに持ってきたのは、彼あってのものともいえるのかもしれない。

 

しかし、報道が悪い等々いっているので、本人には何が悪かったのかすら分かってはいないだろう。
そういう面では、辞任は当然であるし、国内だけならともかく、国外へ出て様々な摺り合わせが必要となる組織のトップとしては相応しいとはいえないだろう。
(上に国内と書いたのは、古い考え方でなんとかなっている経団連みたいな組織とだけの折衝で済んでいる場合という意味ね)。

 

とはいえ、それを森さんの責任だけに帰結させるのは酷というものだろう。
例の女性蔑視発現の際には、発言を止めるどころか笑い声すら聞こえたというから、それが笑い話で済むような旧態依然とした人間で構成されている組織全体の問題といえる。
そのような教育を受けてきた世代の人たちが上にいる以上、これは変わらないのだろう。
若い人には、男女を問わずそれを疑問に思っている人もいるだろうけども、恐らく物を申せるような状態(空気)ではないのだろう。

 

次のトップは女性でということで、橋本聖子オリンピック・パラリンピック担当大臣の名が上がっている(これを書いている時点で受理したと報道があった)。
女性ありきというのもまたズレていると思う。
そこは、男女を問わず、能力のある人間から選ばなくてはならない。
橋本聖子さんに能力があって選ばれたのであれば何も問題はないが、形だけやりましたといわんばかりに、看板の挿げ替えだけの為であれば、他に問題が出てきてしまうだろう。
橋本聖子さんは元オリンピアンであるし、人気もある。
女性でかつ人気があるだけで選ばれたのでなければ良いのだけども。

 

結局日本の闇はここにある。
トップに選ばれるのは、能力のある人間ではなく、人気のある人間であるということだ。
選ぶのは能力のある人間であり、そこに性別のバイアスが掛かってはならない。
日本はその両方があるものだから、結果人気があって男性が選ばれることになる。

 

新型コロナウィルスでその功績を讃えられる、ジャシンダ・アーダーンニュージーランド首相やオードリー・タンさん(台湾のデジタル担当相)にような人が日本のトップにいれば、今のような惨状にはならなかったといわれる。
しかし、人気はともかく、ジャシンダ・アーダーンさんは女性であり、オードリー・タンさんはトランスジェンダーであるから、恐らくは日本ではトップに就けなかっただろう。

 

それらを是正する為に、ともかく数だけでも女性の数を増やすのか、結局人気投票になってしまう現在の選挙制度を変えなくてはならないのかは分からないけども、少なくとも、新しい教育を受けた若い世代に変わってくれば多少は変化が見えてくるのだとは思う。
それを可能にする為に、とりあえずは議員に定年制を設けましょう。
それで世代交代を早めましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です