イスラム国、後藤健二さんを殺害か?自己責任という非難する側の免罪符。

 

1日、イスラム過激派組織イスラム国(ISIS、ISIL)が後藤健二さんを殺害したとみられる映像が、投稿された。
改めてテロという卑劣な行為を行うテロリストに怒りを覚える。
現時点では殺害されたと断定されたわけではないので、今は冥福は祈らないこととする。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6148028

●自己責任とはなにか?

今回も拘束された方に対し、自己責任だという非難が多く見られた。
モータージャーナリスト、下野康史さんのブログを見てへぇっと思ったがの、自己責任という言葉はかなり新しいということだ。
自己責任とは自業自得のことであり、それを耳障りがいいように言い換えた言葉であるということだ。
なるほど、東日本大震災の時に見られた東電の言い換え(爆発→爆発的事象、汚染水→滞留水)を非難していてたが、それと同じことをやっているのだから世話はない。
たぶん、皆が使っているうちに自分が言い換えていることが分からなくなってしまうのだろう。

自己責任ということばを借りるのであれば、そんなこと本人は百も承知のことだろうと思う。
それでもその範疇を越えたことが起きてしまう。
そうなった時に、他人から自己責任だと非難されてドヤ顔されたらたまらないのではないか。
一方で非難した側はお前が悪いとそれだけを言って何もしない。
何もしないことの言い訳に自己責任という言葉を使った場合、それは本当に冷たい言葉だ。

そもそもイスラム国を産んだ背景には、アメリカやイギリス、フランス等が中東を好き勝手にやったことに原因があるとすると、それこそ自己責任だと非難されても文句は言えまい。
イスラム国がテロではない真っ当な方法で対抗してきたら、もうまったく非難はできないだろう。
テロと戦うというと一見まともなことを言っているようだけども、自分たちの行いを改めなければ同じような組織はまた生まれ、テロも起きることだろう。
テロと戦うという言葉の裏にあるのは、自分たちは悪くない、お前らが悪いのだと、自己責任と同じようなことが透けて見える気がする。

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